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「ふいんき」でこうも物議を醸してしまうとは……。
本当に申し訳ありませんでした。
少し言語学的に解説を。
「ふんいき」と「ふいんき」。何が違うのか。どちらが正しいのか。
元々、「ふんいき(雰囲気)」だったものが、(恩師の受け売りですが)言語は楽な方へ楽な方へとシフトしていく性質をもっているため、発音しやすい「ふいんき」になったのではないかと思われます。
使用者がいて言語は生きているので発音は十年もすれば変わってしまいますが、一度表記されたものは変化しにくくなります。発音では音が完全に逆転してしまっても、表記上は変わらないものがあります。「さざんか(山茶花)」や「あきはばら(秋葉原)」も同じ例です。
では、表記と発音ではどちらが正しいのか。言語は流動的なものですから正しいという概念はない、というのが私(というよりはおそらくほとんどの言語学者)の捉え方です。
その場その場に応じて使い分けがなされるコミュニケーションツールであって、明白な規律や規範はありません。ただし、その社会において人間関係を円滑にするため、またはっきりさせるために敬語や定型文句が存在します。
時と場合に応じて、ツールとしての言語を使いこなすことが他の動物と異なって言語を持つ人間の知的活動そのものなのです。
私の場合、ネタとして「ふいんき」と表記したのですが、説明が足りずに誤解を招くような結果となってしまいました。大変申し訳なく思っています。『「ふいんき」(←なぜか変換できない)』がワンフレーズの、2ちゃん系ネタです。これは発音と、タイピングによって表記よりもいっそう違いが明確になった語の、いわゆる「言葉遊び」です。
遊びはルールを知っているものは楽しめますが、そうでないものは何が楽しいのかさっぱりわかりません。だから、「何をやっているんだこの人は」ということになります。それを配慮できずにやってしまい、すみませんでした。
以後はこのようなことがないよう、一段と気をつけていきますので、よろしければおつきあいくださいませ。
冗長になってしまいましたが、これを先日の「ふいんき」に関してメールを下さった方々へのお返事とさせていただきます。
追記(06/06)
ちょっと修正。矢印のあるなしで大分違う……。すいませんでした。
なんだか説教臭くて頭固い文章ですいません。専門のことをかみ砕いて説明できる人に私はなりたい……。
本当に申し訳ありませんでした。
少し言語学的に解説を。
「ふんいき」と「ふいんき」。何が違うのか。どちらが正しいのか。
元々、「ふんいき(雰囲気)」だったものが、(恩師の受け売りですが)言語は楽な方へ楽な方へとシフトしていく性質をもっているため、発音しやすい「ふいんき」になったのではないかと思われます。
使用者がいて言語は生きているので発音は十年もすれば変わってしまいますが、一度表記されたものは変化しにくくなります。発音では音が完全に逆転してしまっても、表記上は変わらないものがあります。「さざんか(山茶花)」や「あきはばら(秋葉原)」も同じ例です。
では、表記と発音ではどちらが正しいのか。言語は流動的なものですから正しいという概念はない、というのが私(というよりはおそらくほとんどの言語学者)の捉え方です。
その場その場に応じて使い分けがなされるコミュニケーションツールであって、明白な規律や規範はありません。ただし、その社会において人間関係を円滑にするため、またはっきりさせるために敬語や定型文句が存在します。
時と場合に応じて、ツールとしての言語を使いこなすことが他の動物と異なって言語を持つ人間の知的活動そのものなのです。
私の場合、ネタとして「ふいんき」と表記したのですが、説明が足りずに誤解を招くような結果となってしまいました。大変申し訳なく思っています。『「ふいんき」(←なぜか変換できない)』がワンフレーズの、2ちゃん系ネタです。これは発音と、タイピングによって表記よりもいっそう違いが明確になった語の、いわゆる「言葉遊び」です。
遊びはルールを知っているものは楽しめますが、そうでないものは何が楽しいのかさっぱりわかりません。だから、「何をやっているんだこの人は」ということになります。それを配慮できずにやってしまい、すみませんでした。
以後はこのようなことがないよう、一段と気をつけていきますので、よろしければおつきあいくださいませ。
冗長になってしまいましたが、これを先日の「ふいんき」に関してメールを下さった方々へのお返事とさせていただきます。
追記(06/06)
ちょっと修正。矢印のあるなしで大分違う……。すいませんでした。
なんだか説教臭くて頭固い文章ですいません。専門のことをかみ砕いて説明できる人に私はなりたい……。
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